早期退職 これまでの振り返り1(大学受験あたりから)

早期退職

この度、早期退職を決めたわけですが、その際に感じた事、考えた事を書いて行くのに、私個人の性格がどんな性格なのか、考え方のベースがどうだったのか、振り返ってみる必要があるかなと思いました。

私自身もそうですが、このブログを読んで頂ける方にも、私がどういう趣向や考えがあり、そう考えたのか、背景を知らないと意味が分からないし、共感も得られないと思ったからです。

興味ある方は居ないとは思いますが、私自身の考え方の変化の整理の為にも書いておこうと思いました。

 

私は「もともと」はどんなタイプか

まずは簡単に書いておきます。

  • 引っ込み思案で、あまり表に出たがらない。自己主張は少なく、周りに合わせるタイプ
  • 物欲はあまりなし、外観的な見栄はない、でも人から嫌われてないかすごく気になる
  • ひとりでコツコツやるのは好きだが、リーダーシップを取って先導するのは好きではない
  • 昇進欲はあまりない。でも管理的な能力を身に着けないと会社に残れないのも分かっている
  • 責任感は割とある方と思う
  • おおざっぱで、細かい事が気にならないし、気が付けない

大勢での会議があると、一番最初に一番後ろの端っこの席に座るタイプでした。出しゃばらず、周りの様子を見て発言する様なタイプでした。

服装や持ち物、特にブランド品などには全く興味が無く、逆にボロボロの服を長く着る事を誇りに感じていました。でも、人に嫌われる事が怖くて、自分の主張をせず、八方美人タイプだったと思います。

一人で黙々と作業するのは好きだが、集団の先頭に立つのはあまり好きではない。そのせいもあり、リーダーシップが求められる出世にはそれほど執着しないし、同期が出世しても全然気にならない。

でも一応、責任感はある方だと思っていて、その時の役職に応じた役割を果たす為には何か必要か、自分なりに考えて、相応になる様に努力はした(相応の役割を発揮できたかどうだかは不明)。

そして、基本的におおざっぱです。嫁さんによく怒られます。

大学受験~大学院受験

いまでこそいろいろ考えて、早期退職し、会社の枠をはみ出して自由に生きたい!!なんて言っていますが、若い時はそんな感じではなかったんです。

あんまり小さい時から書いていても仕方ないので、高校時代&大学受験くらいの時から書きます。

高校の時は進学校であった事もありますが、校内で成績は底辺でした。450人中の440番くらいだったと記憶します。理系で数学と物理、化学が好きだったので、理系へと進みました。

回りの人もほぼ進学する為、なんとなく大学は行くもんだ、という頭がありました。

理系で化学の試験の点数が良かったので、化学系の学科を目指しましたが、化学の何かを勉強したいから、というのはありませんでした。

実力叶わず、現役では全受験大学を落ち、予備校に行かせてもらい、1年浪人して大学に行かせていただきました(親にも感謝です)。

しかし、大学では真面目に授業に出ませんでした。教養の1,2年の時は週に2コマくらいしか出ず、バイトばかりしておりました。理系ですので、4年になると研究室に入って、教授、助教授の元、過酷な無銭労働をすることになりました。テーマも助教授から宛がわれたもので、自分が「やりたい!」と選んだ訳ではありません。でもそれはそれで別にイヤではなかったです。

研究室の仲間とダベるのも楽しかったし、徹夜で資料を作ったのも楽しい思い出です。

でも、自分が努力する事で、チーム全体が何か成果の様なものが出るのは、自己の貢献感があり、それが楽しかったのかもしれません。

大学院~就職活動

当時、化学系と言えば当時、ほぼ100%修士課程に行く雰囲気で、希望すれば行けるような受け入れの許容がありました。

得に早く働きたいと思っていない私は、あんまり考えずに修士に行く事にしました。100%行けるくらいの環境の中、さして良い成績ではありませんでしたが、修士課程に進み、そして2年間をすごしました。

就職活動をする時期。この時になっても、「これがやりたい」、と言うのはありませんでした。

かなりおおざっぱですが、「普通に企業に入る」「できれば、材料の基礎研究をする」「会社・チームの歯車となって組織に貢献したい」「でもしんどすぎるのは嫌だ」くらいの考えしかありませんでした。

他の大学からの転入大学院生の場合、「この先生の元で」「〇〇〇の△△△に関する研究がしたい」なので、この研究室を希望しました!!なんて人が多いのですが、そんな人とは大違いです。

そして就職ですが、当時、教授の影響力が大きかったんだと思います。企業から採用の枠が教授に与えられており、研究室内で人数の調整さえ済んで教授に推薦状をもらえると、ほぼほとんどの人が希望の会社に就職出来るような感じでした。

そして、私はこの時になっても、ざっくりと先ほど書いた事くらいしか考えていなかったので、ある素材系のメーカーに就職をしました。

面接の時も、「なんでもします!!」的なアピールだったと思います。今の就職戦線だと全然通らないと思います。話が逸れますが、今の就職は大変だと思います。「どう貢献できますか?」「大学時代何を学び、何を成し遂げてきましたか?」なんて聞かれて、何か答えないといけません。「そんなん、まだ働いてないのに知らんがな!!」と言うのが本音の方も多いと思いますが、そこはそこ、それなりの事を言わないと入れません。大変ですね。

企業に就職する人も多い中で、最初から独立志向の方も最近多いですね。「レールに乗った人生なんか面白くない!!」と自らズンズン進める人は、私は尊敬します。こういう事は出来ないと自身が思っていたので、自ら会社員になる人生を選んだのでした。

会社員(入社した直後)

結局、会社では基礎研究の部署には配属されず、工場の製造部門に配属されました。

大学で基礎研究をやっていた私にとって、全然違う分野での会社生活の開始でした。

イヤではなかったです。製造部門で生産設備に囲まれた中で、品質や生産性を上げたり、コストダウンをする、という命題が与えられ、あれこれ考えながら改善していくのは、楽しかったです。

なので、与えられた命題の中でいろいろ考えて、その組織なり団体なりに貢献する事は楽しかったんだと思います。個人的に何か具体的な事をやりたい、というよりは、組織に所属してそこに貢献したい、というのがやりたい事だったんだと思います。

その根底には、自身で何かをやり遂げる意識も自信も能力も無いと自覚していたんだと思います。

どこかに所属して、そこで自分の能力が生かせれば良いな、と考えるタイプでした。

会社員(勤務25年くらいまで)

この会社で結局30年働いてきました。ちょうど30年で退社する事を決意しました。

会社での30年間、製造 → 生産技術開発 → 海外工場赴任(タイ) → 生産技術開発 → 生産の管理部門 → 海外工場赴任(中国) という工場、技術系の仕事を中心にやってまいりました。

ずっと同じ会社です。今では珍しいパターンかもしれませんが、私の年代では結構な割合居ると思います。

そして、会社勤めをしてきて25年くらいまでは、転職したいとか、辞めたいとか、自由に生きたいとか、ほぼありませんでした。

もちろん課題が厳しくて、身体的にもきつい時もありましたが、本気で次の就職先を探したり、自分の人生これで良いのか?なんて疑問を感じる事もありませんでした。

会社に貢献し、給料をもらい、それで会社の仲間たちと一緒に楽しむ。 何の問題もなかったです。

今はかなり若い時から、「FIREを目指しています!」「自由に生きたい」などと考えている方がたくさんいますが、そんな事は一切考えず、目の前に出された課題を自分の裁量の中で進めて行って会社の為になる事を実感できれば、貢献した感が得られて良かったんだと思います。まあ、つまり、ボーっと生きてきました。特別にやりたい事もありませんでしたし、充実してたし、楽しかったです。

逆に、早くから自分のやりたい事を明確に持って、それに対して行動を起こされている方は、立派だと思います。

 

早期退職を考え出した時期

そんな受け身の私でしたので、はっきり言って優秀ではなかったと思います。出世も同期の中では遅い方です。最後はほぼタイミングの問題で幸運にも一工場を任せられる職まで就かせてもらった。これは非常い良い経験でした。

そんな中、退職という選択肢もありかな、と意識し始めたのは生産の管理をする部門に入った頃、年齢で言うと50代に入るくらいの時でした。

それまでは、記して来たように自分には一人でやって行く能力が無いというか、その気もなかったので、組織に所属し、その中で貢献していく人生に不満は全くありませんでした。

では、今は一人で何でもできる自信が出来たのか?それで会社を早期退職するのか!??と言われると、そうではありません。

ちょっとネガティブな理由も入ってくるのですが、だいぶ長くなったので、続きは次回以降書いて行きたいと思います。

つづく

私自身振り返りながらこの文章を書いているので、今後、考えを分かりやすく書けるか、ちゃんとまとまるか、どうなるかはよく分かりません。

最初に書きましたが、恐らく誰も興味ないとは思うんですが、自身の考えを整理する為にも続けて書いていきたいと思います。

今回はここまでです。

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