前回は、私の性格と大学入試くらいから45歳くらいまでの仕事に対する考え方なんかを書きました。
私は45歳くらいまでは、早期退職する事なんて全然考えていなかった人間なんです。
30代、40代でFIREしようと早くから決意されていた方とは少し違うんじゃないかと思います。
45歳以降になって退職をしようという考えにどうして至ったか、なぜ変わったか、を書く前に、お金に対する考えを少し書いておこうと思います。この辺の背景が無いとわかりにくいと思ったし、後から書きますが、若干のお金の余裕があった事も考えが変わった一つの要因と思うからです。
そういうベースの上で、どうして退職しようと思ったのかは、順次書いて行きたいと思います。
お金に対する価値観と使い方
基本的に私は浪費家ではありせん。かといって、倹約家でもないと思います。
簡単に言うと、あまり頓着なく、「ボーっ」としていたと思います。今となってはなんともったいない時間を過ごしたんだと思います。
基本的な私の嗜好について書いておきます。
若い時の基本的な価値観
まず、衣・食・住の人間の基本的に必要な物以外に余計なお金を使わない人でした。
例えば、車。かっこいいとか、友達に見せびらかしたいとか、そういう理由でよりグレードの高いものにお金を使う友人もいましたが、私は用途に応じた必要最低限の車があれば、全然問題ないタイプでいした。
腕時計や装飾品にやたらとお金を使いたがる友人もいましたが、私は1,980円のディスカウントショップに売っている安時計で十分に欲しい機能は果たしている為、高価な物が欲しいとこれっぽっちも思いませんでした。
一方で、英会話能力を上げるとか、人の能力を上げる様な投資は少しだけやっていた思います。「駅前留学」で英会話を習ったり、資格を取るために勉強教材を買ってきたりしていました。
だだ、衣食住以外で浪費したものもありました。
競馬です。住んでいる所の近くに競馬場があったのと、周りの人に競馬好きな人が多かった為、一緒に出掛けたりしました。ただ、それほどギャンブラーになれたわけでもありません。せいぜいGIがあった時に1万円くらい、重賞なら5,000円くらい使う程度です。競馬場に行った際も、1レース1,000~2,000円程度でしょうか。
でも、衣食住以外の事としては一番お金を使ったかもしれません。ハメを外さない程度でやっていました。
一方、パチンコにハマらなかったのはラッキーだと思います。ビギナーズラックが無かったためです。もしビギナーズラックがあったら、性格上ハマってしまって、もっと浪費していたと思います。
衣食住の3つでは「食」の割合が大きかった
まず、「衣」です。
服や靴など、身に着ける物に関してほとんど無頓着でした。かっこよく見せたい、とか、高価な服を着て見せびらかしたい、といった要求はほぼありませんでした。逆に、同じものを長く使って長持ちさせたことの方に価値を置くタイプの人間でした。
若い時はかなりみすぼらしいかっこをしていたと思います。服もズボンも靴も、ボロボロのものを着る事に価値を置く人でした。さすがに中年になってからは、最低限の清潔感を損なわない様に気を付けていますが。
よって、着る物に対して、多くのお金を使う必要がありませんでした。
次に「住」
これも、立派な大豪邸やタワマンに住みたいという要求が普通はあると思うのですが、おそらく人より要求が少ないです。
これまでも、独人時代は寮、結婚してからも基本は社宅でした。現在は持ち家に住んでいますが、自分で建てた家ではありません。ひょんな事から手に入りましたが、自分で立派な家を建てたり、立派な所に住んだりしたいと思っていなかったです。必要十分な空間があれば良いし、他人の立派な家を見に行って、うらやましいとは思いますが、ではそこを目指してやって行こうとは思わなかったです。
最後、「食」です
これは他の衣や住に比べると比較的お金は使ったかもしれません。食べたら無くなるものですが、その経験は代えられないと思っていたと思います。
初めて行く店や評判の良い店、おいしいと感じるなじみの店、おいしそうと思えば、そこに食べに行く様にしていたと思います。
ただし、高級な食事に進んでいったわけでもありません。どちらかというとB級グルメに力を注いでいて感じですね。安くておいしいものを探していた感じです。
衣・食・住の生活に必要なもの以外と言う意味では、趣味や友達付き合いなどにはお金は使っていたと思います。
という事で、要約するとケチなんですが、何となく下記の様な事を感がえて、そのような行動になっていたと思います。
お金の使い方のベースにあったもの
要は、自分に自信が無かったんだと思います。
比較的大きな会社に入りましたが、自分には格別すごい能力があるわけでもないし、一人では何もできない、という自覚がありました。
会社に貢献したいと思いつつ、それほど力になっていないのではないか、という恐怖心がありました。
そんな自分ですので、突然解雇されたりする事も十分ありうると思っていました。そんな状況になっても困らない様に、なんとなく、不必要なものは抑えて、最低限で過ごして行こう、という考えがあったのだと思います。
自分で稼いだお金を、惜しげもなく娯楽につぎ込める人を見て、うらやましく思っていたのを覚えています。
一方、自分の内面(能力、スキル、知識など)も鍛えないで、上っ面だけ良く見せようとする人に対しては、ちょっとかわいそうだな、と感じる人でした。
でも計画性があるわけではなかった
何となく不安。
というだけで、出費をあまりしなかったわけですが、だからと言って計画性があったわけではありません。
とにかくお金はある程度溜めていた方が良いだろうという事で会社の制度を利用し、「財形住宅貯蓄」「持株会」にて貯蓄は実施しました。ただし、仕事が忙しかったのもあり、積極的に投資や運用までは頭がまわっていなかったのです。
投資と資産運用をやり始めたのは、2015年くらいだったと思いますので、40代半ばくらいになってからですね。これより少し前、会社でお確定拠出年金制度などが始まり、投資や運用に関して私も勉強を始める様になりました。今となってはもったいなかったですね。
ただ、基本的にはお金はすこしづつ溜まって行きました。
この少しの余裕が考え方を変えたと思います
今、55歳になって、この出費を抑えた事で蓄えられた資産が、私にとっての選択肢を増やしてくれて、自分らしい(と思う)生き方を選択できる様になった事は、結果的に良かったと思っています。
若い時に大きな家を建てて、ローンを組んでしまっていたら、この55歳の今、自分の人生を振り返って、今後どう生きるか、なんて考えもしなかったと思います。
ローンの為に、60歳または65歳まで会社で働くしか選択肢が無いし、働く中で自分らしさを発揮していく事になっていたと思います。
他の生き方に目が行かないのは、それはそれで、迷いが無くて、良いのかもしれませんけどね。
次回以降は、状況変化や考え方の変化などを書いて行きたいと思います。